【エロゲの表現規制】について卒論を書こうと試みる

※表現規制の是非を論じるものではありません。

「エロゲの表現規制について」研究するということ ~前回の記事の補足~

どうも。

エロゲで卒論書く人(@eroge_thesis)です。

 

前回は自己紹介として、私が社会学的アプローチでエロゲの表現規制について研究していることについて、大まかに説明しました。

しかし書いてから思ったんです。

表現規制研究してる、ってヤバい奴扱いされないかな・・・?」

と。

 

「ヤバい奴」というと語弊がありますが、どんな思想であれその思想に対して狂信的で、情報発信が常にそういった思想に関わるトピックの善悪を論じるものであったり、最悪の場合その思想に沿わない他者を否定、排斥しようとする(Twitterクソリプのようなものです)人物はどうしても「ヤバい奴」認定されやすいです。

というか、自分にとってそれは「ヤバい奴」ですし、正直関わりたくありません・・・。

 

と、いうことではっきり申し上げますと私は(エロゲに限らず)表現規制について賛成、反対の意見を表明することはほぼありません。

もっと言うと、その点は私の興味の範囲に置いてストライクではない、ということです。

 

では私の興味とは?

そもそも研究を始めたきっかけは、エロゲに関わる研究がしたい、と言うことがスタートでした。

(私は大学院に行くつもりがないので)私にとって先生についてもらえる本格的な「研究」は人生で一度きりだし、自分の好きなものをテーマに自分のやりたいことを研究にしてみたかったのです。

そして、社会学はそれを可能にする土壌が整っていました。

 

その土壌の上で「エロゲ」を分析した時に、「表現が自主規制される時、どのような圧力や、社会状況、人の動きが関わっているのか」ということが私にとって非常に面白そうなテーマとして映りました。

加えて、これは強調しておきたいのですが、「エロゲの自主規制」の特色として、「表現者自身による自主規制」であることが挙げられます。これはエロゲ特有のもので、例えばAVの規制(修正基準などの策定)にAVメーカーの人間は関わっていない(はず)です。しかし、設立時からソフ倫の理事は様々なエロゲメーカーの社長によって構成されています。

 

ちょっとエモい話をすれば、エロゲ業界におけるソフ倫というのは、警察の圧力による「エロゲ」文化の消滅を避けるため、「エロゲを守りたい」と思う表現者たちが集い、各所との調整の末現在までエロゲを残し続けてくれている団体と言えます。

表現者による自主規制、ということになれば、時に何らかの葛藤であったり、大きな議論が起こった可能性があります。また、自主規制に対してどのような対応をとったか(ソフ倫に文句を言ったか、何らかの工夫で乗り越えたのか、など)も気になるところです。

 

後者の代表的なものとしては「かぐや消し」が挙げられるのではと思います。

いわゆる淫語に「ん」の文字が含まれることが多いことを利用し、その文字のみに修正音を入れたり、音声を切り取ったりする修正方法ですね。

 

しかし、この「かぐや消し」も本当に規制による対応で現れたものなのか、研究としては調べて明らかにする必要があります。

今回の研究では、このような「エロゲの当たり前」がどこから来たのか、その理由や背景は何か、ということも明らかにしたい興味の一つとしてあります。

 

・・・少しは面白さをご理解いただけたのではないでしょうか。

まとめると、私の本研究における興味とは、「規制」の周りにいる人と社会を明らかにすることです。人間および社会の行動には何らかの理由があります。それがどんなものであるかを明らかにしたいのです。

 

繰り返し申し上げますが、表現規制の是非そのものについて論じるつもりは全くありませんので、よろしくお願いします。